特任教員のデメリット

今回は、特任教員のデメリットについて語ります。

まず、大学教員は、正規教員と特任教員に分かれます。

ほとんどの国立大学では、特任教員は組織運営が評価対象になっていません。

(私立大学ではまったく違いますから注意してくださいね。)

特任教員は研究と教育だけで評価されています。

よく勘違いされますが、特任の「任」は任期付きという意味ではなくて、「特定のプロジェクトに任命された」という意味の「任」です。

ようするに、特任教授も特任准教授も、基本的にはポスドクと同じです。

特任教員の場合は、雇用されているプロジェクトで成果(論文や成果物)を出すことが求められます。

(ただし、正規教員の場合は、組織運営(業務)も正式な評価対象に入ります。)

本来は、プロジェクトに関連する業務や研究以外には義務はありません。

しかし、実際はこのようになっているケースは少ないのです。

正規の教員は組織運営(業務)も義務として正式に大学から課され、評価されます。

ですから、正規教員からしてみれば、特任教員にも業務を手伝ってほしいという思いがあります。

パワーバランス的に特任教員よりも正規教員の方が上ですから、無言の圧力がかかります。

それに、講座の長となる正規教員(ほとんどが教授)が特任教員の任期更新や給料を決めていますから、

力のない特任教員は多くの研究外の業務を手伝うはめになります。

その結果、特任教員には十分な研究時間が取れずに、業績をあげることができません。

研究者の世界では論文しか評価されません。

特に特任教員は、筆頭論文が少ないとまともな研究機関に評価されません。

すると、どうなるか分かりますか?

外部に評価されないので、内部の正規教員に評価されよう!となるわけです。

目次

日本の研究レベルが低下している原因

正規教員に評価されるために、特任教員はますます業務に力をいれます。

このようにして、論文を書けない特任教員が出来上がります。

(というか、もともと論文を書けない人はすすんで業務をやりたがります)

実は、このように論文を生まずに職員と同じように業務だけを行っている教員というのは結構たくさんいます。

一度このような状況に陥ってしまうと、もう抜けることが難しくなります。

研究能力が落ちているため、たとえ研究時間があったとしても論文は書けないのです。

それに、研究というのは孤独で、なかなか名を上げるのは難しいです。

一方で、業務というのはやればやるだけ周囲の人から感謝されます。

特に、特任とはいえ教員の地位は学内では結構高いので、業務をやれば持ち上げられます。

「〇〇先生!ありがとうございます!」てな具合です。

そうです。簡単に承認欲求が得られるのです。やみつきになります。

一方で、研究能力はないので論文は書けず、研究では全く承認欲求は得られません。

結果、どうなると思いますか?

実質的には職員と同じような仕事をして過ごす博士号をもった人」になります。

はっきり言って、これでは教員になった意味がありません。

このような問題には日本の大学のなゆがんだ体質も一役かっています。

北米では、プロジェクト予算で雇用された教員は、そのプロジェクトの研究をやらされます。

しかし、日本ではそうではないのです・・

組織論で支配される特任教員

先ほども少し書きましたが、日本の特任教員は足元をみられます。

研究能力がない教員は、もともと期待されていません。

ですから、業務ばかりやらされるという悪循環になります。

雇用予算もパッチワークのように毎年ころころと変えられます。

完全に、特任研究員や特任職員と何ら変わらない状況です。

結果的に業績を残せないので、プロジェクトの研究にも根本的には貢献することがきません。

職員と同じ仕事をしていては、当然研究者として頭角を現すことはできません。

これから研究者になろうとする人は、志を高く持ってください。

大学教員というのは、自分に腕さえあれば必ず世に出ることができます。

狭い分野でも良いので、世界一になってください。

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この記事を書いた人

堺市を中心として、不動産賃貸業をやっています。主に、戸建てのファミリー向け物件を扱っています。

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