今回は,会社で我慢するのが無駄であることについて書きます.
私自身,会社員時代に我慢歴が約7年あります.
結論ですが,我慢は無駄であり,何も生みませんでした.
これは,実は冷静に考えると論理的に導出できる真理です.
以降,これについて説明していきます.
我慢が美徳であると刷り込まれる過程
はじめに,我慢が努力と同等であると刷り込まれる時代があります.
そうです,子供時代です.
痛い注射を我慢する=偉い
我慢して勉強する=偉い
我慢して辛い練習をする=偉い(努力かも?)
あらゆることに関して,我慢と努力の区別がつかなくなる状況が現れます.
このようにして,私たちは我慢と努力の認識が「ごちゃまぜ」になります.
子供時代は,我慢と努力が良く似たようなのので,これでも問題ありません.
しかし,その思想を社会にまで持ち込んでしまうのが大問題です.
なぜ会社で我慢することが無駄なのか?
簡単です.
会社は,社員に対して「我慢してくれ」とは誰も望んでいないからです.
上司が望んでる?
いえ,全然望んでません.
上司が望むこと:
「結果を出して,おれを出世させてくれ」
「おれの仕事を手伝って,楽にしてくれ」
サラリーマン社長が望むことも似たようなものです.
創業者社長が望むこと:「会社に貢献し,利益(結果)をだしてくれ」
嫁が望むこと:「お金さえ家に運んでくれればどうでもいい」
このように,子供時代には親などが「我慢」を望んでいましたが,
会社ではだれも社員に「我慢してくれ」とは思ってません.
会社は人が辞めても,また別の人がいくらでも応募してきますので..
なので,「我慢してもだれもほめてくれない」
という厳然たる事実にぶち当たります.
このように時代が流れていくにつれて,人々が要求することが変化します.
ところが,今の人たちは「我慢は美徳,努力みたいなもの」という刷り込みがあるので,この考え方を変えることはおろか,認識することすらできていません.
このような認識をもった大人が社会をつくっているため,ややこしい状況になるのです.
これでお分かりになったと思いますが,大人になってからの我慢というのは「罰ゲーム」です.
自ら望んで罰ゲームを受けるのはやめましょう.
大人社会では,我慢とひきかえに得られるものはないのです.
我慢しなくて良い人生を送るためには

私は会社員時代に我慢しました.
いつも「イライラ」していました.
そして我慢と引き換えに得るものは「ストレス」だけだとわかりました.
ストレスがかかると海馬の細胞がダメージを受けるので急速に馬鹿になります.
なので,我慢しなくて良い道を探りました.
そのためには「努力」が必要になります.
我慢=努力ではなく,我慢をなくすために必要なものが努力だったのです.
例えば,
・良い会社に就職するために英語を勉強する
・自由な研究者になるために研究員になる
・個人で稼げるようになるために,ブログを書く
などです.
このような努力が健全な努力です.
人によって嫌なことは異なります.
ですので,我慢しないといけない場面も異なります.
そして,我慢しないといけないような状況は徹底的に排除します.
嫌な仕事は,「徹底的にさぼる」ことを考えましょう.
「徹底的にさぼる」ためにはどうすればよいかについて真剣に考え,努力しましょう.
これが正当な努力です.
定年退職の後にパラダイスがある?
日本ではこの考え方が植え付けられてきました.
これは,実は戦後の政府やマスコミによる情報操作です.
徹底的に高度成長するための作戦です.
実際には,老後にパラダイスはないです.
だって冷静になって考えてみてください.
死期が近づいてきて体力が衰えていくのに,どうしてパラダイスなんですか?
普通に考えたらわかることです.
老後の資金などは結構大事ですが,必要以上にあっても意味ありません.
自分自身のやりたいことがあり,かつお金があれば別ですが.
だって,我慢とひきかえに,神様はなにも用意していないですから.
神様は,あめちゃんひとつも用意してくれていません.
このように,「我慢しなければならない」という考え方は
我々から冷静な判断力を奪っています.
このような状況から一刻もはやく抜け出しましょう!
もし会社をやめる際に「上司に言うのがいや」,「未払いの残業代を取り戻したい」等考えている方は,退職代行サービスを考えてみると良いかもしれません.
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