博士号のメリットは何か?【情報系の例】

最近,博士号が取れる目途がたってきました.

とはいえ,これまで長い道のりでした.

今回は博士号を取得するメリットについて書いてみたいと思います.

結論ですが,博士号を取得するメリットは大きいと思います.

まず博士号の取得条件について考えてみたいと思います.

実は,博士号取得の条件は大学や研究分野によって結構バラバラです.

情報系の場合は結構基準が確立されているほうで,かなり甘い大学でも「国際会議1本以上」という大学が多いです.

標準的には,「論文誌1本以上」という大学がほとんどではないでしょうか.

ちなみに,私が在籍している大学は「英文論文誌2本以上」です.

しかも,国際会議は業績に含まれないというかなり厳しい条件です.

博士課程に進学する方にアドバイスしますが,下記にあてはまる人は博士課程に進まない方が良いです.

・博士号という肩書を手にいれるために進学する人(目的が博士号の人)
・教員から指導されることを期待している人(言うことを聞かないといけないと思っている人)

まず一つ目は,博士号取得だけが目的の人はおそらく1年もたないと思います.

例外として,博士号取得基準が甘い大学や,奇跡的にすごい業績が出る場合は大丈夫かもしれません.

まず博士号という肩書を手に入れるだけが目的なら,コスパが悪すぎます

博士号があるからといってかなり就職に有利というわけではないですので.

ふたつめは,教員に期待している人です.

これは結構かなり多くのの人があてはまりがちなので,注意してください.

基本的に博士課程の学生というのは,自分で研究するというスタンスなので研究内容に関して教員からの指導はないと思ってください.

もう教えてもらう時代は終わったのです.

ただし,「論文の書き方」や「サーベイの方法」などは指導してもらえると思います.

でもこれはテクニックのたぐいなので,指導教員でははくても他の人に聞いても良いかもしれません.

ただし,まれに研究内容に関してもいろいろと指導してくる教員もいますが,基本的に助言程度にとらえる必要があります.

例えば,あなたが指導教員に勧められた手法を試して,研究会で怒られた,学会発表したがリジェクトされたなどということが起こっても指導教員のせいにしてはいけません.

それはあなたのせいです.

あなたが自分の確固たる考え(思いつきでもOK)を持ち,指導教員のアドバイスを断っていればそのようなことは起こらないのですから.

教員に依存するのはやめましょう.

そういう場合は,「先生.おことばですが私はこうこうこういう手法を考えていて,こちらのほうが成果がでそうだと

思っているのでこちらでやらせてもらえませんか?」と進言しないといけないのです.

博士課程ではそれほど自律的に行動する必要があります.

目次

なぜ博士課程を辞める人が多いのか?

博士課程を辞める人が多いのは,教員から言われたとおりにやる人が多いからだと思います.

たとえ駄目だと言われても,自分が良いと感じているものは押し通すことが重要です.

私の例でいうと,博士課程に入学してから1年程度はとりあえず「だめ」と言われていました.

別の方法をとるように言われたことも何度もあります.

ですが,方針は一切曲げませんでした.なぜなら,自分がもっとも研究について真剣に考えているからです.

適当に考えている彼らに,良い考えなど浮かぶはずがありません.

彼らの言うことを聞いて方針転換しても,彼らは責任をとってくれません

無視しておきました.そうしたら,結局良い案がひとつ浮かび,成功しました.

簡単に見えますが,それまでに論文は何本かリジェクトになっていますし,それでも自分の意見を押しとおすのはわりと大変です.

私が1本目の英語論文がアクセプトされたのは,

博士課程入学から2年半経過した後でした.

博士課程に入った半分程度の人は,それまでにあきらめて退学します.

これが,博士課程がドロップアウト率が高い理由なのです.

博士課程に入学する方は下記のメリットを享受できるようにする必要があります.

・博士号を取得してからも継続できる研究テーマを確立する
・自分の研究課題において,自分が納得できる結果を残す

まずひとつめは,博士課程で研究をする際に,博士課程で完結できるテーマは止めた方が良いです.

それはすなわち,「博士号を得るためだけの研究」ですから,価値が低いです.

博士課程で得たものが,「博士号という称号」だけではきついのです.

博士号を取ったとしても,実力が上がったわけではないのです.

あくまでも「外から貼られるレッテル」が変わっただけなので.

継続して研究できる(飯のタネになる)研究テーマも得ることが理想です.

最低限,論文が量産できるテーマで,欲を言えば社会的にも需要があるテーマが良いですね.

これが達成できると,博士取得後も仕事に困りません.

次に,狭い範囲でも良いので他のだれにも真似できない方法を目指してください.

たとえば「アメリカや中国の超賢い人」を想像してください.

それはマイクロソフトのリサーチャーかもしれませんし,

マッキンゼーのトップコンサルタントかもしれませんが,いわゆる仮想敵です.

こういう人が自分とおなじ課題に取り組んだとして,まあ同じ結論に至るだろうなと言えるような成果を残してください.

これは自分がそう思えればOKです.

ですので,論文がいくつ出版できたとかそういう問題ではないです.

例えば,修士課程で研究したことがある人なら,ひょっとしてこんなこと思いませんでしたか?

もし賢い人が自分と同じ研究に取り組んだならば,もっといい方法でやるんだろうなあ.とか,

自分が今試している方法より,あきらかにこの論文誌に掲載されている方法のほうが良いのね?

とか,そういう気持ちです.

私は修士課程の時にそう感じていました.

でもそれって,案外自分しか判断できないことだと思います.自分が研究している分野だからこそ,その分野での最終形の最も優れた研究が想定できるのです.

さて,ここで自分は妥協していないだろうか?こんなものでいいかとか思っていないだろうか?

このように自問するのです.

この自問に対して,「そうですね,これが限界のような気がします」って答えることができればOKです.

これまで述べた2個の条件を達成することができたなら,自動的に論文誌もいくつか通っていることが多いです.

ですが,博士課程の在籍期間で論文が通らなくても大丈夫です.

認定退学という道がありますので,一旦退学すると良いかと思います.

いずれにしろ,ここまで成果が出ていれば翌年には論文誌にアクセプトされますので.

博士号を取得した後どうなるのか?

ここまでの内容で,少し萎えた方もいるかもしれませんが,博士号自体はそこまでしなくても取れると思います.

どんな資格でもそうですが,博士号というのは,あくまでも他人から貼られるレッテルです.

ただ,その先まで考えておかないといけないということです.

私がおすすめするのは,自己主張してくださいということです.

民間企業でも同じですが,自分の意見を言わない人はカモです.

そういう人は,嫌な仕事をおしつけられて終わりです.

「自分の意見をいうこと」と「調子にのること」は別です.

調子にのるというのは,何の解決策も持たないにもかかわらず,偉そうな態度をとるということです.

根本的に自己主張することとは異なるのです.

適切に自己主張しないと,発信力が低下します.

この件に関しては,下記の記事で詳しく書いていますので参考にしてください.

ところで,情報系をはじめとした工学分野は比較的恵まれていますが,生物系の研究は厳しいと思います.

そこで生物系の方に提案ですが,情報系の技術をご自身の組み合わせてはどうでしょうか?

そのような学際的な領域からキャリアを確立し,興味のある研究にシフトしていくといった方法もあります.

論文誌にアクセプトされるために英語は重要

最後にテクニカルなアドバイスをしておきます.

博士課程では論文を投稿してアクセプトされる必要がありますが,これがかなり大変です.

英語論文は特に大変です.

そうだよねえ.英語だものねえ.と思うかもしれませんが,書くだけならそこまで大変ではないです.

大変なのは投稿した後です.

投稿した論文は何人かの査読者に査読され,コメント付きで戻ってきます.

このコメントが英語で書かれており,中には何を言っているのが意味不明なコメントもあります.

それに対して自分も英語で反論を書いたり,対応する必要があります.

このときに,ある程度の英語力が必要になります.

博士課程においてもっとも大事なこと

ここまで語ってきましたが,いかがでしたか.

皆さん小さいころから勉強をしたり,スポーツをしたりいろいろ挑戦してきたと思います.

でも,その取り組みの中で一番を取った方は少ないかと思います.

勉強だと全国模擬試験1位とか,スポーツだとジュニアオリンピック金メダルとかです.

私もそうですが,勉強にしても上には上がいます.

その中で一番を取るのは非常に難しいことです.ほとんどの人はとれません.

そのような経験を重ねるごとに,私たちは無意識のうちにすべての物事に対して妥協するようになります.

例えば,まあ自分なら「こんな仕事でいいか」,「この程度の会社でいいか」

お見合いして,「高望みせずこの程度の人でいいか」って

大人になればなるほど,成長よりも妥協を覚えるようになります.

妥協も成長のひとつだという考えもありますが,本当でしょうか?

博士課程における研究というのは,この妥協スパイラルを払拭するチャンスです.

だれも解いていないような課題を見つけ,その分野で一番の成果をあげる.

自己満足に近いですが,その成果はまぎれもない事実です.

研究は多面性があるので,勉強やスポーツで一番取るよりは難易度は低いです.

ですが,このような経験を人生の中で得る機会というのは,極めて少ないように感じます.

そう言う方にとって,博士課程は自信を取り戻すチャンスです.

特に,メンタルが強い人におすすめします.

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この記事を書いた人

某メーカーで数年間エンジニアとして勤務していました.研究,開発,品質管理とたらい回しの刑を満了し,現在はパッケージソフトウェア開発者として個人で活動しています.

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